心の在り方 R&D

物も情報も不自由なく取得できる時代なのに、心は晴れずなかなか幸せになれない。心穏やかに少しでも心豊かに生きていけるようにしたい。

どういう人生を歩むのか

中学、高校、大学と進むにつれ、よく似た人達が増えていった気がする。勉強量や偏差値といったものでスクリーニングされてきて、勉強を最優先と考えていた人の割合が増えてきたためと考えられる。そのため、スポーツや趣味や恋愛といったものは2番目や3番目となり、それらに勉学より時間を割いてきた人はあまりいなかった。

 

中学を卒業して十年くらいの月日が流れ、ふとした機会に中学時代の知人話を聞くと、様々な人生を歩んできていることがわかる。勉強が1番と考えていなかった人達は、スポーツをそのまま追求し続けたり、釣りでご飯を食べていこうとしていたり、夜の街で働いていたりする。ライフスタイルもまた様々である。大卒者の多くは、就職後2, 3年後から結婚の噂を聞くようになるものの、中学時代の知人は結婚も早く、既に出産や離婚まで経験していた人もいた。

 

そして、気づいた。どんな人生を歩んでいたとしても、その人生に幸せに感じている人もいれば、全く楽しくないと思いながら生活をしている人がいるということに。別に当時の勉強なんかどうでもよくて、その人達が信じる道を進めば後悔のない充実した日々となり、なんとなく進んだ道ならばいやいや人生を過ごしている。

 

日々生活をしていると、何をしも必ず学びがある。スポーツをしていてはどうすれば上達するかの知識も増えたり、チームがどのようなときに最も士気が上がるかといったことを学んだりする。四六時中恋愛のことを考えていると、どのようにすれば異性に好感を持ってもらえるかの学びがあるし、人との関わり方に長けたセンスがある人になったりする。お笑いのテレビ番組ばかり見てた友人は物凄くユーモア溢れる人になった。

 

時間をかけた分野において、何かしらの気づきが得られ成長する。それらが、例え仕事に直結しなくても、本人にはプラスのことかもしれない。どのような分野であっても、学びに貴賤はない。そう考えると、自分がどのような人生を歩もうと考えていて、どこに今後リソースを投入するかを改めて考えることが大切となる。仕事で大きな成果を挙げたいと思うなら、仕事に時間を多くかけべきだし、人生で何よりも趣味を楽しみたいならば、そのことばかり考えればよいのだろう。

 

福沢諭吉先生ではないが、人生には上も下もなく、本人が納得する人生となれれば、それが1番なんかじゃないかと思った。