心の在り方 R&D

物も情報も不自由なく取得できる時代なのに、心は晴れずなかなか幸せになれない。心穏やかに少しでも心豊かに生きていけるようにしたい。

お金儲けは善であること

昔は、お金を儲けることになんとなく悪いイメージを持っていた。過去に起きたとあるインサイダー取引の関連者が「お金を儲けること、悪いことですか」といった趣旨の発言をした際にマスコミは大きく取り上げ、当事者に対して日本中から大きなバッシングがあったのも見てきた。そのような社会現象を見たり聞いたりした積み重ねも相まって、お金を儲けることには強欲、成金、他人を出し抜く、そういった印象が脳に植え付けられており、ほどほどの収入で身分相応につつましく生きることが美学だとも思っていた。

 

だが、そうした考えは誤りであったことに歳を重ねてようやく気付いた。お金を儲けることは素晴らしいことではないのか、と。

 

例えば、ご飯を例に挙げる。空腹を満たすことが目的であれば、牛丼チェーン店で300円程度の牛丼で十分に満足できる。だが、一方、恋人との記念日とかには人々は1人1万円のディナーを嬉々として予約する。この30倍もの価格の乖離には、空腹を満たすことだけでなく、お店の雰囲気、一流シェフが創る家庭では食べられないような味付け、高層ビルから見下ろす夜景、洗練されたウェイターのプロの接客などなどの価値が含まれ、そうした価値にお金を支払っているのだ。

 

そう、人は、価値があるのであれば、高くても財布の紐を緩める。

 

逆に考えると、価値を提供すれば「正当に」お金を沢山頂くことができる。素敵なディナーを提供できれば、高い会計のうえお客さんからも感謝の言葉をかけてもらえることもあるだろう。お金を頂くことは価値の提供の対価であり、大金を稼ぐ人はそれほどの価値を創出したことなのだ。人々の大切な大切な虎の子のお金は、皆無駄に使いたくないと思っている。それでも、お金を支払ってでも欲しいというモノやサービスは、販売側が血のにじむような努力で築き上げた価値があるのだ。

 

近年商品のコモディティ化が益々速まっているとよく聞く。独創的なモノやサービスを生み出しても、競合他社が類似の商品を安く販売を始め価格競争へと引きずり込まれる。高付加価値化が重要とはいえその創造は容易ではなく、生み出せてからも独走するのもまた簡単ではない。そうしたことも加味すると、高収益でお金を儲けることはすこぶる難易度の高いことであり、簡単に批判できるような軽々しいものではない。価値を生み出しお金儲けができる人は尊敬されるべき存在なのだ。(勿論法の内側でのビジネスのことであり全うなお金儲けのこと)

 

お金儲けは善である。人々の心に刺さる価値を提供できるビジネスパーソンになれるようにあがきたいものだ。そうして成果を挙げられたあかつきには、ほんの少し贅沢な時間を満喫しよう。