心の在り方 R&D

物も情報も不自由なく取得できる時代なのに、心は晴れずなかなか幸せになれない。心穏やかに少しでも心豊かに生きていけるようにしたい。

人間関係の問題を解決できる「システム」を作り上げると、ノーベル賞以上の価値があるのではないか

人間関係って本当に難しい。何人かから成り立つコミュニティでは、必ずと言っていいほど、派閥ができたり序列ができたりする。ある人にはちやほやしたりおべっかを使ったりする反面、とある人には悪口を罵りディスり倒す。小学校、中学校、高校、大学とどの年代においても、クラスや部活といったどのような組織であろうとも、人間関係の煩わしさに遭遇してきた。また、社会人の転職理由の第1位に挙がるのも人間関係の問題であるそうだ。人間関係の根深さは半端ない。

そのようなことを考えていると、小学校のいじめの問題って永久になくならないと思う。いや、消えるはずがないと断言できるレベルだ。大人になっても、何歳になろうとも人間関係でもめるのに、6歳から12歳の子供達が人間関係の問題を全員が心の中だけに留めておき平和に過ごせるとは、期待し過ぎの理想論である。様々なコミュニティで被害者になったり、加害者側になってしまったり、それぞれの立場を直接的にも間接的にも経験することで心の傷みを理解していく。そうしたことを踏まえて、大人の世界では小学校のようないじめは起こらずに、「表面的には」いじめのないような雰囲気をつくりながらコミュニティを維持するようになっている。それでも、いじめもどきは多数存在し、幾分マイルドにはなっても全員が心穏やかに過ごせるなんてことはなく、どこにいっても人間関係の悩みは尽きない。

 

人間関係の問題を解決できたら、ノーベル賞以上のものではないかと勝手に思っているが、人間関係を卓越している唯一のものに気付いた。宗教である。

私は宗教について詳しく知っている訳ではなくイメージであるが、絶対的な神様が君臨し、その下に人間が存在する。神様に対して人間は下にいるが、その人達はみな同じ立ち位置であるという世界観を作り上げている。そのため、人間通しで争いが起きたりすると、神様のバチが当たるなど言われるように実体はない神の存在が人間を統制できていたのだと考えられる。

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一方、人間が人間を統治するシステムでは限界がある。例えば、江戸時代では徳川家が日本を治めてきたが、ピラミッドの上部と底辺での格差の違いが軋轢を生み、幕府解体と明治維新が起きた。江戸時代だけでなく、日本でも武力による制圧で人が人を支配してきたが、何度も何度も戦を繰り返し、そのシステムではうまくいかないこと

はこれまでの歴史が示してきた。

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歴史上長らく続いた江戸幕府ですらたかだが300年であり今は面影もなくなっているのに対して、キリスト教イスラム教、仏教のような宗教は数千年の歴史を誇り、今もなお人々を信仰させて心の安穏をもたらしている。これらによる文明の構築は、それほど注目や脚光は浴びていないが、沢山の命を救い人々の心を豊かにしたといえよう。

 

別に宗教を広めるべきだという意図でも主張でもない。だが、このような「システム」を作り上げることができたら、人間関係が良好になるのではないか、もっと生きやすいコミュニティや社会になるのではないかと想像する。21世紀はモノも情報も十二分に存在しているが、精神の疲弊度は大きく心は満足いくほど充填されていない。この時代にこそ、そのような心の問題を解決できる価値を創造できると、より社会が成熟するのだと思う。微力ながらもそのようなシステムを考えていきたい。