心の在り方 R&D

物も情報も不自由なく取得できる時代なのに、心は晴れずなかなか幸せになれない。心穏やかに少しでも心豊かに生きていけるようにしたい。

他人に投資と自分に投資

会社の先輩に誘われて、人生で初めて競馬場に行ってきた。人生経験がてら、ほんのちょっとの金額に希望ものせてみた。結果は、数分の勝負であっさり敗れさくっとお金を溶かした。一攫千金を狙っていたわけもなく、実験の気持ちで費やしたものであったので、お金を消費したことは別に良かったが、「投資」としては良くない使い方だと思った。

 

競馬にお金をつぎ込むことは、基本的にはお金を増やしたいという考えが突き動かす投資といえよう。一定の金額を失うリスクをとることで、あわよくば一攫千金を狙っている。もちろん考え方は人それぞれであるが、私の眼には競馬は不確定要素が多すぎる投資だと映った。どれほど過去のデータを分析しようが、統計的なデータを参考にしようが、当日の馬のコンディションは分からないし、騎手の調子だってわからない。確率の高いものを選ぼうと勝負の世界で何が起こるのか分からないのが世の常である。そうした状況で参加者にできることは、「願う」だけである。勝負に向けて努力のしようが一切なく、ただただ勝利を願うだけであり、本人に状況を変えるすべもない他力本願である。仮にその日は勝っても、自分自身の経験値が上がるとも言えそうにない。何より競馬は期待値が1を下回るゲーム。長期的な視点でも大半の人は元手と減らす投資であるのだ。

 

そのように考えると自分への投資の方がよっぽどいいと痛感する。勉強なりにお金を投資して己を磨き、会社で実績を挙げられれば、ボーナスとして返ってくるだろう。自分への投資の良いことは、今費やしたお金がすぐに報われなくても、何年後や何十年後かに返ってくる可能性も併せ持つことだ。10万円投資した結果、どこかで50万円多く得ることに繋がれば投資効果は5倍となっている。期待値は1を遥かに上回る可能性もある。そしてその期待値の大きさや投資の成功確率は自分の行動や努力に依存することになる。結果がどうあれ自分自身も納得できるだろう。自分に投資する方が圧倒的に優れている。

 

こうした考えに行き着いたのも、数学で期待値を勉強したこと、過去の自分への投資が生きているのだと思う。今後もいい投資を自分にしていきたい。