心の在り方 R&D

物も情報も不自由なく取得できる時代なのに、心は晴れずなかなか幸せになれない。心穏やかに少しでも心豊かに生きていけるようにしたい。

ちょっとした労力が充実感に変わる

飲み会の幹事をしたときのこと。幹事のときは色々と手間がかかる。メンバーの出欠確認や日程調整、会場の予約、円滑な会計と、2時間の飲み会のためにそれ以上の時間や労力がかかったりする。当日もハメを外せないし楽しみきれなかったりする。やはり、出席の返信をして会場に行けばいいだけの参加者の方がお気楽で済む。これまでに幾度と幹事をしたり、その何倍もの普通の参加者にもなった。そうして改めて思うのは、飲み会が充実していると感じたときは大抵幹事をしたときであった。

その大きな理由として、精神的に優位になるからではないかと思う。まず、この飲み会は自分がお膳立てをしたという自意識が自尊心を満たす。そうした感情が自信を与え、目上の人であったり、苦手な人であったり、または気になっている異性とかにも、卑下することなく普段よりも堂々と話せたりする。そういった気持ちの安定がいつもより良いコミュニケーションを生み出す。そのことがまた自分の気持ちを良くさせる。このように、幹事の役割を果たしているという自尊心をきっかけに好循環のサイクルが周りやすく、結果的に幹事の日の飲み会の方が充実感が大きいということに帰結するのだと分析する。

これは飲み会の幹事という一例に過ぎないが、こうした正のスパイラルを回すきっかけは自分のちょっとした労力が起点になっていたりする。過去に思い当たるふしを幾つか振り返ってみると、誰かのために労を惜しまなかったときとかがそうである。

軽い出来事として、道を教えてあげたり席を譲ったりしたときだ。ほんのちょっと他人のために役立てることをしただけで、自分も清々しい気持ちになるし、ありがとうと言ってもらえたりしたら素直に嬉しい気持ちになる。少し複雑な出来事としては、誰よりも準備をしたときとかだ。人より勝る量の下調べをしておくと、ディスカッションでもいい意見を提案できる確率も高くなるし、自分が議題の核なる部分に踏み込めることも多くなる。その結果、チームに役立てる機会も増加する。つまりは、念入りな準備という少しばかりの労力が、皆のために役立てたという充実感が自分へのご褒美として返ってくる。

上記の例は全て、ちょっとした労力が短期的なリターンとなる事例である。なかには、労力が報われなかったというようなときもあるだろうが、それが数年してから利子をつけて返ってきたりすることもある。費やした手間は、巡りに巡って自分に戻ってきたりするのだ。世のため人のためと思って行う努力が、味わえる充実感に変わるのかもしれない。そう思ったりもしながら、また頑張っていきましょう。