心の在り方 R&D

物も情報も不自由なく取得できる時代なのに、心は晴れずなかなか幸せになれない。心穏やかに少しでも心豊かに生きていけるようにしたい。

ユーモアは人を幸せにする

A 「問題。鳥は鳥でも飛べないちりとりはなーんだ?」
B 「ちりとりって答えいうてるやないかい!」

昔テレビかなんかで見た漫才のフレーズだ。そのとき私は落ち込んでいたが、このネタにとても笑わせてもらい、なんだか元気になったことがあった。芸人さんの名前は覚えていないけれど、このときの笑うことで気持ちが前向きに戻った体験は今でも心に残っている。

ユーモアは人を幸せにする。
そう思ったことの原体験だ。海外旅行に行かなくても、東京で遊ばなくても、例えお金がなくても、ユーモアがあれば日々楽しく生きていくことができる。何よりも素敵なツールだと思う。

このネタには、誰にも被害なく人を楽しませることができることに今も心惹かれている。それは、笑いの材料に人間が、特に身近にいる人間が調理されていると、なかなか曲者だと思うからでもある。
誰かをコケにして笑うことは楽しいという気持ちも分からなくはない。他人の不幸は蜜の味 という言葉があるように、人の境遇を肴にして盛り上がるのは古今東西問わず共通の出来事だろう。だが、不器用な私にはその副作用が強すぎる。一度けちょんけちょんに誰かをこきおろすと、その時は確かに非常に楽しいのだが、翌日以降その人に会うと上手く話せなかったり、その時の記憶が呼び起こされ悪いイメージしか持てず、なんとなく打ち解けきれない。そういったぎこちなさが相手にも伝わってしまい、関係が冷え切ってしまったことも何度かあった。器用な人なら翌日ケロリとして上手く人と付き合っていけるから、人の不幸は蜜の味作戦でストレス解消をしたらいいと思うのだが、リアルな失敗が多過ぎて私には笑えなくなってしまった。

そういった苦い経験により、人間絡みの笑いを楽しみきれないからこそ、冒頭の飛べないちりとりのネタは色褪せずに、むしろ輝きを増して記憶に焼き付けられている。

もともと口下手な私は、ユーモアを聞くのは大好きであったが、言うのは得意でなかった。それでも、どうすれば言葉を面白可笑しく言えるかなと考えていると、ごくごくたまに周囲の人をクスッと笑わせられることもできるようになった。思考の量に応じて、ユーモアのアウトプットも増えるのかなと気づかされた。
ユーモアは人を幸せにする。
その信念を一生大切に持ち続け、ユーモアを楽しみ、そして、周囲の人々を楽しませられるようにもしたいと思う。