心の在り方 R&D

物も情報も不自由なく取得できる時代なのに、心は晴れずなかなか幸せになれない。心穏やかに少しでも心豊かに生きていけるようにしたい。

言葉が脳に与えるインスピレーション

本を読んでいると時として、脳が震えるような素晴らしい言葉に出会える。そのときの自分の気持ちや状況によって琴線に触れる言葉の種類はまちまちであるが、心の針が負から正へ一気に振り切れるような言葉に一定の確率で辿り着く。この現象をもう少し掘り下げてみる。

まず、言葉じたいは文字の羅列だ。本にしろ、インターネットでの情報にしろ、見ているものは文字に過ぎず、どのような言葉でも世界が変わることはない。変化するのは、自分の気持ちや脳の状態だ。すなわち、言葉が触媒となり、脳内で化学反応が起きている。それだけのことである。ではなぜ、言葉が反応を起こす触媒になり得るのか。1つの仮説として、言葉は本人が欲しているものを提供する解にもなるということだ。

その仮説の事例として1つ目は刺激だ。仕事にしろ、学校にしろ、家庭にしろ、基本的にはよく似た日常が繰り返される。良いか悪いかは別として、昨日今日の延長線でなんとなく明日はぼんやりとは見えている。人間とは、そうした日々の暮らしに想像を超える刺激を求めたりする。そのためニュースを見るように常に情報を取りにいく。様々な情報を得るプロセスで、考えになかった文字や言葉が飛び込んできたときに、衝撃を受けたり触発されたり興奮したりする。そうして、その事例を他山の石とし、それを糧に自分はどうしようかという気になる。こうしたことで急激な考えの変化が起きたりしている。

仮説の事例の2つ目は、本人が模索していた問題のヒントになる言葉だ。人々は仕事にしろプライベートにしろ、何かしらは悩みを抱えているものである。それらのなかですぐに解決できないようなものは頭の中で寝かされている、言い換えれば後回しとして放置されている。頭の隅にあり、いつもは気にならないけれどたまに思い出して気掛かりになるようなこと。そういうことが同時並行で幾つも進行している。そのようななか、大量の言葉を摂取していると、そのなかで上記の課題の1つを解決しそうなヒントとなるような言葉に出会えたり、それを起点に解が見つかる時がある。光の道筋が見えた瞬間、アドレナリンなどの脳内物質が分泌され、気分は一気にびっくり変える。


仮説の正誤がどうであれ、メカニズムがどうであれ、言葉には脳の導火線に火をつけることができるのは間違いない。こうしたパターンを抽出し、必要なタイミングで適切な言葉をインプットできるようになれば、人生が数%良くなる気がする。言葉によって、前向き60%後向き40%を、前向き62%後向き58%にでもなれば素敵だ。創意工夫によって、少しは人生が豊かにできるはず。言葉のエネルギーを享受しよう。