心の在り方 R&D

物も情報も不自由なく取得できる時代なのに、心は晴れずなかなか幸せになれない。心穏やかに少しでも心豊かに生きていけるようにしたい。

幸せの在り方を探っていく

去年の1年間は沢山の人と話せた年でもあった。個々それぞれ十人十色でオリジナルの生き方をしているが、彼ら彼女らから生き様を考えていると幸せについての概念が抽出されてきた。

幸せを突き詰めていくと、学歴、勤務先、仕事の能力、人間性、人望といったものが高ければ必ずしも幸せではないという真実が見えてきた。
極端な話、支離滅裂なことを喚いては他人を常に糾弾しているような人が相対的に幸せそうであったりする。内容は褒められるようなことではないのに、本人は自信を持って正義を振りかざし、それに高い満足度を得ていたりする。一方、能力は高いが故に周囲から足を引っ張られ、優秀なためそれらの人間関係の真相も見えてしまうがためメンタルがやられた人もいた。勉強や仕事を頑張った人の方が成果が出ていることには間違いないが、なかには皮肉なことにその成果が仇となり周囲から負のエネルギーを散々かけられ不幸せに落とし込まれた人もいる。何かの能力を高めれば幸せになれるというような簡単なものでもない。
ではどういう人が幸せそうであったか。やはり、思い入れや信念がある分野で、己が戦える得意なことに時間を費やす人が、幸せをより享受できるのだと思う。人をディスることが大好きな人はそればかりしていると楽しいだろうし、仕事に思い入れがあっても不得意な道を進んではしんどいから別の得意な道を探した方がより打ち込める。何をするにしろ、好きな領域で自分が活き活きできるようにしなければ心の豊かさには繋がらない。

ただ、お金に関しては顕著な傾向が見られた。お金にゆとりがある人の方が明らかに幸せそうな人が多く、お金に苦労している人の方がストレスが多く不幸せそうであった。(例外的に1人貧乏であることを猛烈な反骨精神にしている人がいたが、そのようになれる人は少ないのだろうという印象)
確かにお金によってストレスが軽減できることも沢山ある。例えば、ご飯にしてもそうだ。お金に幾分余裕があれば、明日の晩御飯は自炊をするもよし、外食をするもよし、高級ディナーに行くもよしと多くの選択肢があらわれる。その中で最も心がけ望むチョイスをして食事を楽しむことができたらストレスは緩和される。一方、お金がかつかつであるならば明日の晩御飯は自炊をする他選択肢が無いかもしれない。その場合は、疲れた体にムチを打ってご飯を準備し片付けをすることになる。食事が疲れを回復してくれるよりも疲弊してしまう。お金があれば幸せになれるとは言えないが、お金によって不幸になる要素を排除することは可能であるのだ。お金に余裕がある人々は、お金という「ツール」を上手く使うことで、不幸を手離して幸せを引き寄せている。そのため、お金と幸せには相関があるように見えたのだと分析する。

以上のことから考えると、幸せを掴むためには自分が何に思いを持ててどうするのが得意かを考えること、それとお金の使い方のレベルを上げることではないかという結論に至った。そうした知見を血肉に取り入れることで幸せの在り方を探っていこう。