希望をもつこと
大学生活は暗黒時代に他ならなかった。部活は上手くいかず、アルバイト先では怒られまくり、恋愛は報われなかったし、周囲との人付き合いも下手だった。辛いと思うことばかりであり、こんなに人生は大変なのにどうして人は生きていくのかと何度も何度も自問自答した。当時導け出した唯一の解は、家族よりは長生きしなければ親不孝者過ぎるということだった。ただそれだけを思いつつ、1日ずつ消化するかのように過ごしていた。
大学を卒業して、社会人として働き始めて少し心が変化した。職場での仕事、住む地域、お金の自由度と環境も付き合う人も生活のリズムも完全に変わったことで気分も一新した。仕事で成果を挙げたいって強く思えるようになったし、やっぱりプライベートも充実させたいという気持ちも湧き上がってきた。それ以来、生きる意義とは何かという問いかけはめっきり減った。時として落ち込み過ぎると、昔のようにネガティブな考えが頭から離れなくなることもあるが、トータルの時間は数十分の1になった。大学を卒業してから幾ばくか年月が経つが、あの時代よりは今の方が充実しているという気持ちは増すばかりである。
人生を好転させてくれたのは「希望」だと思う。目標を失い何もかもただひたすらこなしているだけの日々に生きがいは感じられもしなかったが、今の仕事で結果を出したいという思いは仕事を更には人生を前向きなものにした。未来へ飛翔すると信じることができたとき、苦しいことは良い経験に、楽しいことは生の充実となる。
漠然とした大きな希望が漠然とこの先数年間に希望を与えてくれ、目先のプロジェクト成功への意欲がこの先数ヶ月の仕事へのモチベーションを高めた。希望の度合は、生き方の質に相関する。その中には、自然と湧いた希望もあるが、思考を重ねて自分はああしたいなど自発的に湧いた希望もある。工夫をすれば希望だって見出せることも学んだ。
未来に光が見えない日々がどれだけ辛いかは4年かけて身を持って知った。今後は少しでも良い人生を送れるようにするためにも、沢山の希望を持ちたい。これまでよりも、今日よりも、明日以降の方が素晴らしい日々になると心から思っていきたい。