心の在り方 R&D

物も情報も不自由なく取得できる時代なのに、心は晴れずなかなか幸せになれない。心穏やかに少しでも心豊かに生きていけるようにしたい。

喋ることへのコンプレックス

昔から喋ることが苦手だった。コミュニケーションには軽く10年以上苦労している。友達付き合いも上手くいかない方が多かったし、恋愛もまた然りである。様々なコミュニティに馴染めきれず、時には逃げるように去ったこともあった。就職活動の面接でも全然話せなかったのは黒歴史のひとつだ。喋れずに苦戦した過去を思い出せば枚挙にいとまがない。歳を重ねて経験値を増やした今でもまた色んな所でつまずいては、もっとトークができたらと自己嫌悪によく陥っている。誰しも得意不得意があるのは当たり前だが、トークだけは人並以上だったら良かったのになと心の底から何度思ったかは数え切れない。

もちろん努力で改善できることもあるけれども、私はどちらかというと、喋ることが苦手ということを受け入れて、喋れないなら喋れないなりに生きていこうと思っている。

喋れないことで良かったこともある。例えば、行かなくてもいい飲み会などは全然行かなかった。そういう時は大抵、現実を忘れるための如く1人で本を読むことに没頭していた。そういう日々を繰り返した結果、本を読むのが好きになったし、なかでもビジネス書の面白さを知ることができた。飲み会代を支払って誰かの噂話を聞くよりも、本を2,3冊買って幅広い知識を得られたことは良かったと心から思う。
ブログを書くのも喋れないことが所以なのかもしれない。普通の人ならば誰かと話すことで気分が前向きになったり考えが纏まったりすることがあるのかもしれないが、私にはほとんどそれがない。間をあけて気まずい思いをしないように何かを話すことに必死であまり得られるものはない。それを書くことで、気持ちを整理したり、言語化することで考えを簡潔にしようとしている気もする。ブログを書くことで違う世界が見えるようになったことも、喋れないことの良い副作用なのかもしれない。

また、人付き合いが苦手な私でも極々稀だが一定の確率で、ものすごく気が合って意気投合できる人と出会う。考え方が近かったり目指す人生が似ていると、普段は聞き役の私も喋りたいことが沢山湧き上がる。数少ないながらもそういう方とは何度も食事をしたりと良好な関係を築けている。自分が円滑に話せる人という強力なフィルターにより、薄っぺらい人間関係は自然と消滅していった。ポジティブに考えると、無駄な付き合いが減り自分の時間が増えたとも言える。

結局、自分自身でどう捉えるかによるのかもしれない。私は「喋る」というカードを持っていなかったが、そこに拘るのでなく、無かったからこそ手にすることができた違うカードをもっと大切にすべきなのかなとも思う。誰とでも上手く付き合えるようなかっこいい生き方はできないけれど、自分の強みを信じて、不器用なりにも素晴らしい生き方を模索していきたいと思う。