心の在り方 R&D

物も情報も不自由なく取得できる時代なのに、心は晴れずなかなか幸せになれない。心穏やかに少しでも心豊かに生きていけるようにしたい。

パワースポットの本当の効果とは

パワースポットは本当に効果があるか考察していく。

パワースポットについては「パワースポットは大地の力(気)がみなぎる場所と考えればよい」とされているが[参考1]、個人的には違う意見を持っている。その場所に行けば効果が得られるというのは、そのパワースポットの広告や宣伝に惑わされているに過ぎない。誰もが確実に気が養われる場所なんて存在しないというのが私の考えだ。では、なぜパワースポットがこれほど人気が出ては沢山の人が押し寄せるのであろうか。それは人間の脳や心によるバイアスによるものだと考えられる。

様々なキャッチコピーの効果によって、このパワースポットに行けば、気力が回復する、幸せになる、縁が結ばれるなど、人々は最初から信じている。そして実際に行き、参拝などの儀式を行うことによって、私には良いことが起きると思い込むようになる。このようなポジティブな確証バイアスが強化されることにより、なかには実際に幸せになる人もいるだろう。その結果、どこどこのパワースポットは効果があるという話に現実性があるような錯覚を持つ人が増えてくる。科学的に考えるとそのパワースポットの場所と実際の効果に相関関係はなくて、パワースポットに行ったことによる人間の脳の変化がポイントといえよう。それでも、日常では脳に変化を起こすのは容易ではなく、普段行かない場所に足を運ぶことで効果があるのならば、パワースポットの役割を果たしている訳でもある。このようなメカニクスでも人が少しでも幸せになり、かつ、その土地近郊に観光客が流れ込み経済効果があるのであれば、多少怪しげに思える'パワースポット'もメディアも通して宣伝しているのはWin-Winの関係にもなっている。例えば、出雲大社のような地方都市にあるパワースポットであれば街の活性化につながるし、遠方から参加する参加者は時間やお金をかけるほど行ってよかったと思うバイアスも強化されるため、その効果は想像以上に大きい。

 

そのように考えると、神様の存在自体も虚像ではないかと思う。神様は物理的にはいらっしゃらないが、人間が創造したことで人の脳内には存在するようになった。神様に願えば、神社で思いを込めれば、神様が叶えてくれるように見えなくもないが、人間の脳内での様々なバイアスが強固となりゆく過程で、願い事が届いていくように人は認知する。神様を信じることで、自分の人生が好転していくように思え、そして益々神様の存在は絶対視され神聖化されてゆく。

とまぁ、私もそれらの現象を解明したいわけでない。そのような原理を応用すればもっとお手軽に日常でも幸せを感じるバイアスを育て上げられるのではないかと思う。身近な街でも、家の中でも、マイパワースポットを自分で構築できれば自発的に幸せに近づけそうである。