心の在り方 R&D

物も情報も不自由なく取得できる時代なのに、心は晴れずなかなか幸せになれない。心穏やかに少しでも心豊かに生きていけるようにしたい。

「情報」と「行動」から物事を立体的に捉える

新聞やテレビといった既存のメディアから、徐々にインターネットのメディアのシェアが大きくなっているとはよく聞いていた。知識として「情報」を知っていたが、自分の「行動」に照らし合わせながらじっくり考えてみるとその現象への理解が深まった。

 

これまでの主要なメディアとしては新聞、テレビ、雑誌、ラジオが挙げられる。10年前の私は、朝新聞を読み、帰り道に本屋で雑誌を買ったり立ち読みしたり、夜にはテレビを見て過ごす生活が普通であった。週に1度だけであったが金曜の夜中に布団でラジオを聴くのも楽しみの1つであった。インターネットに全く縁のなかった私はこれらのマス媒体から日常的に情報を得ていてそれが普通であると疑うこともなく毎日毎日生活していた。

 

それから10年の月日を経た今、メディアとの関わり方は大きく変わった。まず朝の新聞の習慣がなくなった。一人暮らしをするようになり新聞の定期購読という選択はとらなかった。代わりにニュースの供給源として選んだのはインターネットだ。ニュースアプリが主軸となり、ときどき新聞社の電子版情報を覗く。情報の発信元は新聞社で同じであっても、その情報取得手段は完全に置き換わった。スマホが主体でPCが時々といったところだ。雑誌に関しては昔も今もあまり変わっていないかもしれない。本屋には今もしょっちゅう訪れる。小説や専門書といった長めの文章を読むときは、何度か購入した電子書籍では読みにくく紙媒体の方が優る。それゆえ本屋は定期的に足を運ぶのだが、そのときに雑誌コーナーにも回っている。雑誌に関わる機会は当時から変わっていない気がする。テレビに関しては大きく変わった。昔はニュースとしても、勉強の題材としても、ドラマやお笑いとエンタメとしても毎日のように見ていたのだが、今はテレビが家に無い生活を送っている。ニュースはネットに特化し、勉強の題材は本が最も効率的と思うようになり、エンタメとしてはYouTubeを見たり、繁華街に行くなどテレビとは異なる楽しみ方も覚えた。複合的に様々なメリットがあったテレビから、それぞれの強みのもつ媒体にシフトして、テレビが無い生活に何の違和感もなく順応している。そういえば昔あったラジオは今どこにあるのだろうか?と分からないくらいラジオを聞かなくなって長い年月が過ぎた。

 

情報を得る方法は別に何でもいい。紙で得ようが、電子機器から取得しようが、人から聞こうが、情報の質が変わるわけではない。利便性という観点から我々は徐々に便利な方に流れていき、社会の流れと同様に私自身も既存メディアからインターネットメディアへの比重が大きくなった。時代の変化と共に、私自身のスタイルも変化しているのだ。表面的な情報を鵜呑みするだけでなく、自分自身の行動というデータを照合することで、情報取得の変化を立体的に浮かび上がらせることができたことに気付いた。こうした手法を他の事例にも当てはめることで物事を正確に理解できるようにしていきたいものだ。